器用貧乏の裕福な生活

割と幸せです

文字講座

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誠文堂新光社
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13人の文字に携わるクリエイター・デザイナーが、それぞれ文字をテーマに講演し一冊の本にまとめた本。切り口も語り口もさまざまで、一人あたりの分量もちょうどよく、一人また一人と読み進められた。特にAdobeの方の日本語フォント作成プロセスの講演はフォントの作成にも設計・シミュレーション・製造・品質の概念があり親近感が湧いた。

また何人かの方が共通して実際に自分で文字を書くことを大事にしていたのが印象的で、キーボードに頼り切り、ついにはメモ帳も持ち歩かなくなった自分は、読んでいる途中も恐縮しきりだった。

これまでWebデザインの真似事しかしたことが無い自分にとって、Web上のテキストにおけるフォントの不自由さから、文字のサイズや行間、単純なレイアウトには関心があっても、文字の造形そのものが関心の対象とはならなかったが、文中で語られている偉大な先人たちと、熱意を持って語る偉大な現代のクリエイターの方々の文字への思いを読んでいるうちに、ちょこっとCSSだけ書いて読みやすさがー、などど簡単に言っていたことがとても浅はかで恥ずかしい。

もっと書いて、勉強します。

椎間板ヘルニアになった

この度、椎間板ヘルニアを発症し忌々しくも腰痛持ちとなってしまったので、その経緯をまとめつつ今後のことなんかを考えてみたい。
2013/09/12 その後について追記しました

これまで

高校生の頃、風呂場の椅子に腰掛けて上体を起こした時にピリッとした痛みを覚えたのが一番古い腰痛の記憶で、大学二年か三年の時には、痛くて一日動けなくなったこともあった。その時は接骨院にかかったが「凝ってるね」の一言で済まされたな。思い返せば糞藪だ。その後はたまに痛みが出ることもあるが大体一、二週間で収まる上ので腰のことは深く気にせずにいた。

発症

先週の火曜日、春分の日、祝日。朝起きて体を起こそうとすると腰骨の辺りに大きな針が埋まっているような痛み。二週間ほど前から痛みはあったが酷くなってきている。ただ動けないというほどではなく、この日は妻の友人が訪ねてくる予定だったので片づけや子守りをしているうちに徐々に痛みは和らいできた。しかし、夕方ごろ娘のおむつを替えたあたりからまた痛みがあらわれる。今度は動いていなくとも座っているだけで辛く、居ても立ってもいられなくなり寝室で一人突っ伏した。

一時間後、仰向けだろうがうつ伏せだろうがじっと寝ていても明らかに痛い。じっとしていると段々と痛みが腰に溜まっていくようだ。時間とともに痛みは増し、左大腿部にも鈍痛としびれが広がってきた。痛みに耐えながらも病院を探す。祝日の夜、救急しか選択肢が無いがそれでも近くに救急対応している病院があるらしい。まず自分で歩いて行けるかどうか、妻の肩を借りて右足で立ち上がるも数秒も持たずに耐え切れなくなって伏してしまう。

搬送

「救急車呼ぶ?」と妻が不安な声で言う。まさか、そんなにひどくない。いや、このままひどくなるばかりなら自力で立つことも出来なくなり、布団から動けずに飯も食えないどころか、這ってトイレまで行くはめになる。あとこの痛みはどれくらいで収まるのか、果たして寝てれば収まるものなのか、明日まで待てるのか。

「あのー、えーとですね、そんなに救急ってわけでもないのですが、カクカクシカジカで動けなくなりまして、ええ、住所は◯◯市◯◯町の…、はい、本人です、じゃあ、お願いします。救急車、すぐ来るってさ。あっ、恥ずかしいからサイレン鳴らさずに来てって言うの忘れた。あとズボン履かせて。」

間もなく救急車のサイレンが聞こえてきた。

病院

チャイムがなって妻がドアを開けると三人の救急隊員が部屋に入って来た。動きは迅速だ。問診の後、状態を再度確認され、丈夫なゴムで出来た、網目のないハンモックのような担架に載せられる。寝返りをうって、背中側に敷いてもらい、また戻る。次にヨシ!という掛け声で体を一気に持ち上げられる。痛い。とにかく揺れるのでとんでもなく痛い。うめきながら家の外に出る、近所の方は出てきてないようだ。階段は更に辛い。早く救急車に入れてくれ。

車内に入った後、少し落ち着いて、搬送先探しが始まった。恐らくリーダーだろう人が、救急対応かつ整形外科がある病院で近い順に電話をかけていく。救急車の人も「お世話になります」なんて言うんだな、なんて思っているとかなり断られている。結局二、三十分探した結果、近くの市民病院に整形外科の先生が当直されており、無事搬送された。

救急患者を受け入れる部屋でそのまま診断。痛みも酷くなってきていたが、相当しびれもひどいことに気がつく。左足に力が半分ぐらいしか入らないのだ。と言うことは神経に何かがあるということで、正確なことは言えないが恐らくヘルニアだろう、と。場合によっては手術が必要だが今のところは無さそうなので、取り急ぎ痛み止めの坐薬を入れますねとのこと。

坐薬か、おっとお尻は初めてだから優しくしてくれよ。なんて思ったり、合間をみてSNSに状況をつぶやいたりしていたが、実はこのあたりが痛みのピークで、じっと寝ているだけでも悶絶するような痛みとひどいしびれが腰から左大腿部にかけて広がっていて、今日はこのまま帰れるのか、とても不安だった。

それでもなんとかなるもんで、座薬の他に経口の痛み止めを追加してしばらくすれば立つぐらいはなんとかなった。さらに迎えに来た親父の肩を借りて極力左足に体重が乗らないようにすれば、歩ける。途中からは一人でも歩けるようになったので、タクシーで帰路に着く。半分寝そべるような形で座るが、揺れて痛い。

その後

家に帰宅するころ、やっと追加の痛み止めが効いてきたのか、寝れるぐらいにまでは痛みも和らぎ、翌日もほぼ一人で再診を受診しに病院まで行くことが出来た。そうは言っても立ってるだけでビンビン来る痛みに耐えながら、ましてや座って仕事なぞ出来るはずもなく仕事は三日間休んだ。

その三日間、家では基本的に寝て、起きるのはトイレぐらい。痛み止めの坐薬は一度、入れてから次に入れるのは最低でも六時間あけてから入れてくれと言われたので、ほぼ六時間起きに坐薬と飲み薬を投与しつつの生活だった。大変だったのがトイレで、まず大便では座るのが苦痛だし、小便でも排尿時に左足がしびれた。飯は寝て食わねばならず、風呂も満足に入れない、洗面所に立って顔を洗うのが辛いと、書いているだけで悲惨だが、具合が悪くなるような内科と違って、痛みが我慢できる範囲なら寝てネットサーフィンしてるだけなので、まぁなんというか気楽な三日間でもあった。仕事も休んだ。

そして今週のはじめにMRI での精密検査を終えて正式に椎間板ヘルニアとなった。

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現在、今後

今は、毎食後の痛み止めを飲んでいれば長時間座ったり、大きく前かがみになったりする以外はほぼ問題ないぐらいに回復してきている。恐らくこのまま緩やかに元に戻っていくのだろう。ただし、完全には治らないし、再発の可能性がある以上、生活習慣は見なおさなければならない。

今回のヘルニアの原因は恐らく、大阪に引っ越してきてからの床に座る、あぐら中心の生活ではないかと読んでいる。どうやら、寝ている < 直立 < 正座 < イスに座る < あぐら、の順で腰に悪いらしいので、いずれかは椅子の生活にするべきだろう。

後は体重を減らすこと。ヘルニアになってからなぜか三大欲求が減退したので食事量も減らした。仕事場もスタンディングデスクにした。座らなくて済むし、運動にもなる。他にも姿勢を直しにピラティスとか始めるかな。

一生付き合うものが出来たので準備と覚悟がいる。あーめんどくさい。

追記(2013/09/12) その後

発症から1年半経ちまして、意外とヘルニアで検索されてこられる方がいらっしゃるので追記。基本的には日常生活において強い痛みを感じることはほぼ無くなりました。長時間移動や、丸一日以上デスクに座っていると微妙に痛みを感じたりすることもあるが、運動したりすることでなんとか病院にも行かずに済んでる。

推察だけど、体重が急に増えたことが原因としてあるかも。あれから少し痩せたのでひどい痛みにも合わずに済んでるような気がする。
ちなみにスタンディングデスクは机の上に折りたたみ式のPCテーブル買ってやってたけど、結局半年ぐらいで辞めてしまった。効果は割とあったと思うので、また痛みが増してきたらやろうかなあ。

似てる人

よく犬は飼い主に似るなどと言うが、内面は、長い時間を共に過ごすとお互いに影響され合って均一化され、似てくるのは理解できる。ただ、こと外見については、その限りではないように思えるのだが、特に最近、妻と似ていると言われることが多い。

先の正月、帰省した際に家族で集合写真を撮ったのだが、どう見ても私に一番似ているのは、弟でも妹でも無く妻だった。昔は母親の分身だった私だが、歳の差もあるのか、今では妻のほうが相似度は近い。不幸にも私に似てしまった産まれたばかりの娘にも同じことが言えるが、結局のところ夫婦で似ていて子供がどちらにも似ていることになる。顔の大きさだけは妻に似て良かった。

そもそもなんでこんな話をしているかというと、この前久しぶりに奥田民生に似ていると言われて嬉しかったのを思い出しては、ニヤニヤしてた時に今まで自分が似ていると言われた人を並べてみたら面白いんじゃないかと思い立ったからである。やっと本題。

奥田民生

http://www.kanshin.com/keyword/193355

これは嬉しい。自分はもう少し目が離れている。

高田延彦

http://photo.quus.net/images/ta_3270.htm

ちょっとゴツい。口が似ているが、もう少し目が離れているな。

LITTLE

http://www.vibe-net.com/musicinfo/interview/interview_one.html?artist=021005417&interview=549

多分身長とかのサイズ感が大きいと思う、あと目が離れてるところとか。

橋下徹

http://matome.naver.jp/odai/2132215699893144701/2132215706593148603

これは自薦、すごく似ているというわけではないが、目が離れてるし。こんなに精悍ではない。

美保純

http://tisen.jp/pukiwiki/index.php?%C8%FE%CA%DD%BD%E3

一番近いかも。日活ロマンポルノ。

喋りながら考える

どうやら自分は喋りながら考える人間らしい。というよりも喋ってないとうまく頭が回らないと言った方がいいのかもしれない。喋らないと考えられないのだから、喋りだすときには全く整理できてなくて、ああだこうだ言いいながら考えだして結論に至る。いよいよ高まってくると頭が回りすぎて空回りし、口が追いつかないぐらいになる。そういう時は得てして良いアイデアに恵まれるものだが、周りには迷惑なやつだと思われているだろう。酒なんか飲んでるとひどいもんだ。

静かにしている時は何も考えていないことが多い。元来落ち着きがない性質で、去年に産まれた娘もその性質をよく引き継いでいて嫌になるが、とにかくじっとしていられない。あれにこれにと注意が散漫し、それでいて頭は全く回っていない。急に頭のギアが錆びついたようになってしまって、いったんそうなると、もう一度動かすのはなかなか骨が折れる。東京にいた頃は近くに座っていた人にちょっとした事を相談したりして無理やり動かしていた。今はその環境に無いのでちょっと困っている。

漫画を読んだりゲームをしている時は、なるべく頭の回転を止めているのか、周りの音も遮断したかのように聞こえなくなる。集中はしているのだが、何か頭に入ったり生み出したりすることはほとんど無い。ただ漫画ではよく泣くので、感情は動いていると思う。先の正月も義実家でONE PIECEを読みなおして泣いた。ウソップはガチ、異論は認めない。

小説や活字を読んでいる時は、ゆっくりだが頭を回しているような気がする。重い文章で頭のネジを固めに締めて、ギリギリとゆっくりトルクをかけて頭を回す。最初は力がいるが回りだすと勢いがついて一気に速度を上げて読みきってしまう。なるべく重いがやっと回せる程度の文章が好みで、高村薫は本当に丁度いい。

そういえば「黄金を抱いて翔べ」が映画化されるそうだ。普段映画は見ないが、これは見てみたいと思う。確か主人公のモモが働いてた吹田の町は地元で、自分の知った風景の上で物語が進むのは新鮮な小説体験だった。ただ確か工場があるとされた駅の山手側は高村薫や井筒監督の言う"大阪"と印象が異なる気がするが、もっとも小説も20年前の小説なのか、その頃は自分が育った町も、もっと粗野だったのかもしれない。

映画「黄金を抱いて翔べ」公式サイト

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)
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考えながら書いていると話がかなり脱線してしまった。もう少し落ち着きのある大人になれると思ってたのになぁ。

お好み焼きとごはん

「え、俺一緒に食べるよ」

と言った瞬間、炭水化物と炭水化物の組み合わせがまるで近親相姦かのように汚い言葉で罵ってくるのは、もうたくさんだ、がまんならない。

お前たちの好きな、ラーメンとライスだって炭水化物に炭水化物だし、焼きそばパンなんか炭水化物で炭水化物をはさんじゃって、ドリアは大胆にも炭水化物のうえに炭水化物をのせてしまっている。よっぽどたちが悪い。

それに広島あたりじゃ麺を中に入れて、これこそがお好み焼きだなんて言っている。それはいいのか、許せるのか。

せめて一度食べてみたのなら構わない。ただ異を唱えるやつはたいてい一緒に食べたことなんか無いんだ。そして食べてみたら、案外いけるね、とか言い出して、もう絶対許さない。いや許す、許すから食べてみてくれないか。

なぜお好み焼きとごはんだけが、こんなにも不当な扱いを受けなければいけないのだろうか。まるで禁断の愛、お好み焼きとごはんは、俺の口の中でこんなにも愛しあっているのに。

共食い

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芥川賞受賞会見の記事を読んで言葉の選び方が好みだと思った。

都知事閣下と都民各位それはほんとうの嘘ですギャラが出るんで

冒頭の都知事閣下の下りは事前に考えてきたそうだが、そのことがまたなお良かった。特に、故郷であり作品の舞台でもある下関の町の印象を尋ねられて 非常に乾(渇)いた町です と即答したのが最高だった。

括弧付きで"渇いた町"としたのは、恐らく本作を未読のまま会見に臨んだ記者が文字におこした際に迷いもなく変換候補に出てきた文字を選んだ結果"乾いた町"となっただけで、本作を読んでからだと"渇いた町"とも答えたのではないかと思えるからだ。

物語は何か目新しさがあるわけでも無いが、会話が多いため、引っかかることなく読み進められる。性と暴力とを題材にしているにもかかわらず、恨みや執拗さに乏しいからか、川辺の町なのに、土砂降りの場面ですら湿っぽくならない。最後に血で湿るまで、乾いた町での、欲への渇きだけが描かれているような文章だった。

思ったよりも物足りず深く沈めてくれなかったが、すぐにでも読み返したくなる。

そういえば昨年も芥川賞の受賞会見か何かを見て西村賢太の「苦役列車」を読んだんだった。これも、渇きを湿っぽくならずに語っていたが、自分を重ねすぎて勝手に鬱々としてしまい、読み返すこともなく古本屋に売っぱらった。多分、もう一度読んでも同じ事をしそうだな。そんな本のほうが好きだけど。